松阪牛
Matsuzaka Beef

松阪牛

たゆまぬ努力で築き上げられたブランド「松阪牛」

江戸時代、当時の松阪地方は農業が盛んで、田畑を耕すために牛は力仕事を任せられていました。明治時代になって西洋の食文化が取り入れられるようになり、食用としての牛のニーズが高まってきた頃松阪牛が全国に知らしめるきっかけを作ったのが、山路徳三郎という人物です。山路徳三郎は汽車も車もない時代に、松阪近郊から牛を集め、何十頭もの牛を連れて東京まで歩いて売りに行ったのです。「牛追い道中」と呼ばれる大行進は明治5年から二十数年間にも及び、松阪牛の名前を広める大きなきっかけとなりました。(鉄道の発達による大柄貨車輸送の開始もあり、明治30年代に「牛追い道中」はついに終止符が打たれましたが、その後も鹿鳴館や東京の高級料理店などから特別に依頼され、松阪牛の信頼は守り続けられました。)

これまで農家は農作業用に牛を飼っていましたが、食用としても生産する農家が増え、上質な肉を生産するための工夫や努力が重ねられました。その評価をさらに決定づけたのが昭和10年に開催された日本初の全国肉用畜産博覧会。最高の「名誉賞」を獲得したことによって、一気に全国区に名が広まり、あこがれの牛肉の代名詞になったのです。

ブランドを守る徹底したデータ管理

松阪牛は、正式には「まつさかうし」「まつさかぎゅう」と呼びます。
三重県松阪市とその近郊を合わせた旧22市町村(※)で育てられ、牛の個体識別台帳の他に、松阪牛個体識別管理システムに登録された未経産の雌牛だけが「松阪牛」と名乗ることができます。36項目に及ぶデータは、実際に三重県松阪食肉公社の職員が直接牛舎に足を運んで確認するという徹底ぶり。牛の個体情報をはじめ生産者の住所氏名や給餌飼料などの明確な生産・出荷情報が提供され、どのような生産者によって育てられたか知ることができます。これにより流通ルートもクリアになり、安心安全とともに上質なクオリティが保たれています。
(※)松阪市を中心とした2004年(平成16年)11月1日現在の旧市町村に、旧松阪肉牛生産者の会会員を含みます。

牛にもやさしい飼育環境

松阪牛の生産区域は三重県の中南部、比較的温暖な気候のため暑すぎず寒すぎず、牛の生育に適した土地です。また、この一帯には美しい川が流れる自然豊かな環境で、空気も澄んでいます。一頭一頭に対して最適な量の餌が与えられ、ビールを飲ませて食欲を増進させたり、血行を良くして皮下脂肪を均一にするためにマッサージを行ったりと、肥育農家によって独自の手法があることも有名です。

一度食べれば忘れることのない「肉の芸術品」

目で見えないほど細やかな霜降りは肉の芸術品と称され、ココナッツや桃のような甘さを感じる和牛香が強く、17.4℃という群を抜いた脂肪融点の低さによって舌にのせるとスーッと溶けてしまいます。滑らかな舌触りととろけるような食感が特徴です。